[019] アデノシン三リン酸 (ATP) adenosine triphosphate (GB#106A01)

[019] アデノシン三リン酸 (ATP) adenosine triphosphate (GB#106A01) | 基礎医学教育研究会(KIKKEN)Lab

adenosine triphosphate
●「細胞内の」エネルギー通貨
アデノシン三リン酸(adenosine triphosphate, ATP)はアデノシンという構造にリン酸が3個一列につながっているかたちをした物質で,ヌクレオチドのひとつだ。 昔から「生体のエネルギー通貨」と言われているけれど,そう言い切ってしまうにはちょっと抵抗がある。
たしかに共通したエネルギー源のかたちとして身体のほとんどどこでも使われている。 ところが通貨という言葉からイメージされるように,あちこちに「流通」している,わけではない。 肝細胞で作った ATP が血液を流れて筋肉で(エネルギー源として)使われるということは起こらない。

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●ATPは使う細胞の中で作られる

たとえ隣り合った細胞同士でも ATP そのものを融通しあうことはない。 作った細胞の中だけで使い切ってしまう。 その細胞の中だけで,いろいろな用途に使いまわしの効く便利な存在だ。 (伝達物質としての使い方もあるにはある。)だからどっちかというと ”細胞内の” エネルギー通貨と言ったほうが,エネルギー循環のしくみを理解するうえでは適当ではないかな?

ATP は生理学の教科書に名前が出てくるものだけでも,細胞膜や小胞体の膜でのイオンの能動輸送筋細胞の収縮,鞭毛(べんもう)や線毛(せんもう)の運動などで働いているけど,それ以外にも様々な細胞内の反応や代謝活動に活躍している。 

お金は使ったら手元から消えるけれど,普通,所有者が移るだけでこの世から消えるわけではない。 ATP はエネルギー源として使ったら,かたちが変化して,いったんは ATP という存在は消える。 お金は増やせば増やすほど人は大きな力を身に付けるらしいが,ATP は使い勝手のためにはある程度の限界があってそれ以上は増やせない。 通貨と言っても小銭みたいな存在に近い。

●ATPはエネルギーを運ぶ

ATP の役割は細胞内でエネルギーをいろんな用途に簡単に使える形で一時的に保存しておくことだ。 また言い換えると,ATP はエネルギーを大元のエネルギーの塊から別の様々な小さな仕組みに移すためのエネルギーの運び屋だ。 分子生物学の教科書では「エネルギー運搬体(energy carrier)」と表現してある。 細胞のなかのエネルギー運搬体は,実際は ATP のほかにいくつもの物質があるけど,ATP はその中でもっとも用途が広く量も豊富な運搬体として存在する。

アデノシン三リン酸は3つ並んでつながっているリン酸のいちばん端っこにあるリン酸の結合が大事だ。 加水分解(hydrolysis)という反応によってこの一個のリン酸をはずすと一個のアデノシン二リン酸(adenosine diphosphate, ADP)と一個の無機リン酸(Pi)になる。 無機リン酸は,外れると同時に他の物質と結合することもあるけど,いずれにしろ ATP が ADP に変わるとき,ADP と無機リン酸の結合にとじこめられていた大きなエネルギーが解放されて出てくるのだ。 逆に同じだけのエネルギーをつぎ込んでやれば,ADP に無機リン酸を結合させて,この反応は脱水縮合(condensation reaction with expulsion of water)となって,ATP を再生することができる。

●ATPは小型の充電バッテリー

ATP はエネルギーを運んで他の仕組みに供給すると,ATP という名前はいったん消えるけれど,エネルギーを充填すると再生してまた運搬体として働く。 だから身近にあるものに例えると,通貨というよりは小型の充電バッテリーをイメージしたほうが近いかな。 

ケータイでもデジカメでも音楽プレーヤーでも,冷蔵庫や掃除器でも,部屋の中にある道具はメーカーを問わずどれでも同じタイプの充電バッテリーが使えたら(現実には存在しないけれど...),それが ATP だと思えばどうだろうか。 充電バッテリーだから電気を使い切ったらはずして別のフル充電した ATP バッテリーと入れ替える。 空になったバッテリーは充電器につないでエネルギーを充電するように,エネルギーが空になった ADP にまたエネルギーが充填されると ATP として再生する。 

大型充電器の役割をするのは主に細胞内に散らばっているミトコンドリア(mitochondria)の中にあるクエン酸回路(citric acid cycle)と電子伝達系(electron transport chain)というシステムだ。

ATP のエネルギーは,反応を起こすときにはだいたい一瞬で使い切ってしまうので,細胞の中のいろいろな仕組みが動き続けるためには,めまぐるしいスピードで ATP を ADP にしてはまた新たな新品 ATP と入れ替える作業を続けているのだろう。 「細胞 1 個にはいつも約 109 個の ATP が存在し,多くの細胞では 1 ~ 2 分ごとにすべての ATP が消費されて入れ替わる」(Essential 細胞生物学,2006)という。

●ちょうどよいくらいのATPのエネルギー

ATP のリン酸結合は「高エネルギーリン酸結合」と呼ばれる。 1モルの ATP → ADP + Pi の反応で解放される標準自由エネルギー変化(ΔG°)は -7.3 kcal/mol (−30.5 kJ/mol) となっている。 これはこの式に現れる物質がすべて同じ濃度(1 M )の状態にあるとき(標準状態)のエネルギー変化量であるので,ADP に対して ATP が大量にある実際の細胞内の環境ではもう少し高くて, -10 ~ 13 kcal/mol くらいだという。

これが ”特別に高い” エネルギーなのかどうかは他と比較しなければならないけれど,調べてみるとそうでもないらしい。 標準状態での比較では,筋細胞に特徴的なクレアチンリン酸(phosphocreatine)のエネルギー放出のほうが ATP よりは 3 割ほど高いし, 2 倍以上高いエネルギーを持った結合も細胞の反応の中にはいくつも現れる。 ショ糖からブドウ糖とフルクトースへの加水分解もエネルギーを放出する反応で,その ΔG° は -5.5 kcal/mol と ATP とそれほど大きく違っていない。 実は,ATP の高エネルギーリン酸結合という呼び方は,一番端っこのリン酸同士の結合の部分が,リン酸とほかの物質の結合よりは2倍以上高いというところからきているらしい.

ATP の末端のリン酸エネルギー量は特別に高くて万能ということではなくて,むしろいろいろな反応を少しずつ進めるのにちょうどよいくらいの大きさのようだ。

●ATPは栄養素のエネルギーで作られる

ATP のエネルギーの源は我々が口から入れる食べ物,飲み物で,その中心となるのは糖質(炭水化物)と脂肪だ。 これらの栄養素は消化管で消化されたあと腸管から吸収されて体中の細胞に供給される。 それぞれの細胞で吸収される段階ではブドウ糖と脂肪酸というそれぞれの要素形になっている。 それらをエネルギーの源として分解して, ATP はそれぞれの細胞の中で作られる。 

1分子のブドウ糖から得られる ATP 量は,以前は 38 分子となっていた。 今も生理学の教科書にはそう書いてある。 ところが実はもう何年も前からその根拠が怪しいとなっていることはつい最近知った(汗)。 分子生物学の教科書によると 1モルのブドウ糖(180g)からできる ATP は最大で 30 モル程度ということらしい。

●脂肪酸はブドウ糖の2倍以上のATPを生み出す

これに対し,脂肪酸はどうだろうか。 脂肪酸は大きさがいろいろあるので 1 モルの量も幅がある。 代表的なパルミチン酸(分子量 256 )を例に取ると 1 モルからおよそ 96 モル の ATP が作られるという。 脂肪酸はほとんど炭素と水素だけでできている大きな分子なので,発生するエネルギー量が大きい。 同じ重さ(乾燥重量)あたりで比較すると ATP を 1 モル作るのにブドウ糖は 6 g 必要だけど,脂肪酸だと 2.7 g あればよい。 ほぼ半分だ。 

実際は,体内ではブドウ糖やグリコーゲンは乾燥できずにかならず水を吸っているのでもっと重くなる。 それに対して脂肪は水を吸わない. 脂肪と同じエネルギーを蓄えるためにはおよそ 6 倍の重量増になるという。 ヒトは食事をするときには脂肪よりも炭水化物を好んで食べているけれど,体内ではエネルギー源のほとんどを脂肪にして貯めているのは,重量とエネルギー効率のためだ。

●伝達物質として働く ATP

ATP はエネルギー運搬体としては細胞間でやりとりされないけれど,細胞を越えて働くことがあることが今では判っている。 今のところよく知られているのは細胞間の伝達物質のひとつとして働くということだ。 中枢神経系のグリア細胞から放出されて,ニューロンの細胞膜にある ATP受容体に作用して興奮性の調節を行っているという。

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○参考にしたサイト

ATPの意外なはたらき | 日経サイエンス
グリア細胞によるシナプス伝達制御 -細胞外ATP の役割-

・ブドウ糖,脂肪酸から作られる ATP 量見積もりの変化について ⇒ (wikipedia 「呼吸」
生きた細胞内の ATP 濃度をリアルタイムで測定する技術

◎図の説明: ATP の加水分解と,ADPとリン酸との脱水縮合による ATP の生成の図です。移されるエネルギーを黄色で表し,エネルギー充填プロセスを緑の玉で,エネルギーを解放する ATP分解酵素を赤玉で表しています。エネルギーは下端のシステムから上端のシステムに ATP を介して運搬されています.
誤解:共鳴構造が分子の実在の過渡状態であり、分子はそれらの共鳴構造の間で振動している、あるいはそれらの間の平衡構造して存在しているという一般的誤解がある。しかしながら、これらの個々の寄与構造は実在の共鳴安定化された分子において観測することはできない。いかなる分子あるいはイオンもたった一つの形、共鳴混成体で存在する。共鳴という単語の物理学的意味との混乱のため、共鳴という用語を廃止し「非局在化」と呼ぼうという提案がなされている。(wikipedia 共鳴理論)

○関連する記事

[042] TCA回路 TCA cycle
[047] 解糖系 glycolysis
[050] 細胞呼吸 cellular respiration
[026] ミオシンとアクチンの相互作用 interaction of myosin and actin
[009] 筋収縮の伸縮幅 the range of muscular contraction
[035] 骨格筋収縮の張力 tension of the skeletal muscle contraction
[028] 静止膜電位 resting membrane potential
[007] ブドウ糖と,ショ糖の加水分解 glucose and the hydrolysis of sucrose 
[017] 糖質の吸収 absorption of carbohydratel
[011] 体内の酸性・アルカリ性と炭酸ガス body acid-base reaction and carbon dioxide gas
[032] グリコーゲンの合成 glycogen synthesis
[041] 心筋線維 myocardial fiber041-heartmuscle80.gif

○参考文献

Essential細胞生物学〈DVD付〉原書第3版,南江堂
細胞の分子生物学, ニュートンプレス; 第5版 (2010/01)
カラー図解 人体の正常構造と機能 全10巻縮刷版,坂井 建雄,日本医事新報社
人体機能生理学,杉 晴夫,南江堂
トートラ人体解剖生理学 原書8版,丸善
イラスト解剖学,松村 讓兒,中外医学社
・柔道整復学校協会編「生理学」,南江堂
・東洋療法学校協会編「生理学」,医歯薬出版株式会社

rev.20140425. rev.20140117, rev.20170211,rev.20170504, rev.20180117, rev.20191022 rev.20200829, rev.20210214, rev.20210301, rev.20210601, rev.20220604.

◆基礎医学教育研究会(KIKKEN)

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コメント

    (ceoKIKKENより) [2014/08/15][9:49 PM]

    たしかに化学物質の構造と名前は理解するのが難しいですね。だいたい生理学的な働きのある物質は、発見されるたびに、構造よりも、考えている反応の中での役割とかで名づけられることも多くて、構造的には関連している物質でも名前ではまったく別物に思えたりします。逆に構造で名前が呼ばれると、働きがさっぱり予想できないこともあります。化学構造がちょっとでも異なると、生理的な働きがまったく違うことが多いので仕方ないのでしょう。
    そのため、化学物質の構造と名前を簡単にわかりやすく説明することは、大変難しいし、簡単に理解することも難しいのです。構造が気になるときには、どうかネットで検索して「画像」をチェックしてみてください。このブログで扱う物質だったら、きちんとした構造図がいくらでも見つかるでしょう。
    そのうち、生理学的な仕組みを勉強する上では、実際の化学構造はあまり気にしなくてもいいということに気付くかもしれませんが...
    > 構造の図とかないですか。
    > 一つ一つの物質の名称をわかりやすく教えて欲しい。

    (ゆうより) [2014/08/15][4:50 PM]

    構造の図とかないですか。
    一つ一つの物質の名称をわかりやすく教えて欲しい。

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