[054] 気道と食道の切り替え switching of the airway and esophagus (GB#105A04) | 基礎医学教育研究会(KIKKEN)Lab
●飲み込みの理解
日本語で「飲み込みがいい」とか「悪い」とか,ものごとを理解したり習得したりする速さのことを例えて言う。 ところがよく考えると,ものを飲み込む身体のしくみ自体は,どうも飲み込みやすいとは言えそうもない。 なにしろ途中に,肺に通じる通路が大きく開いていて,これを越えて物を通すには,かなり巧妙なトリックが必要なのだ。
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●飲み込む動作を嚥下という
ものを飲み込む動作は専門用語では嚥下(えんげ,swallowing / deglutition)という。 ネットで見ると一般用語としては「えんか」と読んでも間違いではないらしいけれど,医療現場では通じないかもしれない。 ご飯を食べて飲み込むときには,嚥下の前に,噛み砕いたり磨り潰したりする咀嚼(そしゃく,chewing / mastication)というという動作が入る。
「咀嚼」も「嚥下」もその中には,「噛み砕く」という字も「飲み込む」という字も入っていないのに,名詞としては,わざわざ別に難しい言葉を使うというのは不思議だ。 さらに喉(のど,throat)に関しては,咽頭(いんとう)とか喉頭(こうとう)とか出てくる。 ”口”という字はひどく簡単だけど,口の周りにはやたらと難しい漢字が横行しているのは何か特別な意味があるのだろうか。
●嚥下は少なくとも3段階の流れ作業
それはさておき,嚥下だけにしぼっても,その動作には少なくとも3段階の流れがあるという。 まず,口の中(口腔,こうくう,oral cavity)から食べている物を喉の入口,咽頭(pharynx)に送り込む必要がある。
ここは舌(ぜつ,tongue)の働きが重要で,口腔期(こうくうき,oral stage)と呼ばれる。 今から飲み込むぞという合図ともなる動作で,自分の意志で始められる随意運動(ずいいうんどう,voluntary movement)だ。
続いて通過する食べ物や飲み物(ここでは通過物と呼ぼう)が喉の部分を通り抜ける咽頭期(いんとうき,pharyngeal stage),最後に喉を過ぎて食道(しょくどう,esophagus)を蠕動運動で降りていく食道期(しょくどうき,esophageal stage)と順に続いて,通過物は胃に送られる。 咽頭期と食道期は順序に従って勝手に始まって進行する,脳幹の延髄(えんずい, medulla oblongata)に中枢を持つ反射運動だ。
●軟口蓋は鼻と口の連絡を切りかえる
口を開けると,ノドチンコがぶら下がったヒダが見える。 これは筋肉でできた軟口蓋(なんこうがい,soft palate)で,その向こうが咽頭だ。 咽頭は上は鼻腔(びくう,nasal cavity)の奥から,下は食道の直前までの広い部分を言って,上中下の三つの部分に分けられる。
口を開けて奥に見える喉(のど)の壁は中咽頭(mesopharynx/oropharynx)の壁だ。 英語では咽頭口腔部(oropharynx)と呼ばれるほうが多いみたいだ。 軟口蓋の陰に隠れて見えない奥の部分が上咽頭,つまり鼻の咽頭(nasopharynx)になる。 嚥下の時には,通過物が上咽頭に紛れ込まないように,軟口蓋が中咽頭と上咽頭を遮断する働きをする。
●喉頭は開き,食道は閉じている
口を開けた時に見えている舌は,氷山の一角みたいに,大きな舌筋のかたまりの先端部分で,その根本である舌根(ぜっこん,root of the tongue)が咽頭の奥に伸びている。
表からは特別な器具を使わないと見えない,その奥の舌筋の付け根の舌扁桃(ぜつへんとう,lingual tonsil)の下に,靴ベラの先端みたいな上向きの小さなでっぱりがある。 そのでっぱりの向こうには広い空洞が開いているけど,それは食道ではなくて,肺に通じる気管(きかん,trachea)の入り口で,喉頭(こうとう,larynx)と呼ばれる部分だ。
喉頭は甲状軟骨(こうじょうなんこつ,thyroid cartilage)と輪状軟骨(りんじょうなんこつ,cricoid)を土台とする頑丈な筒だ。 その上のでっぱりは喉頭蓋(こうとうがい,epiglottis)と呼ばれて,喉頭の蓋(ふた)になるものだ。 この喉頭蓋から食道までが,下咽頭(かいんとう,hypopharynx)にあたる。 この時,喉頭と一緒に並んであるはずの食道の入り口はどこにも見えない。
多くの説明図では,食道が管の形で描いてあるイメージだけれど,食道はものをまさに飲み込む,そのとき以外は喉頭の輪状軟骨と後ろの脊柱の間につぶれてしまっていて,管としては開いていないのだ。
立体的に見ると,下咽頭は,咽頭というツボの丸い底の側面に,外から喉頭という太めの筒の先端が斜めに突き出している格好になる。 筒の切り口は上がとがるように斜めになっていて,そのとがった飛び出しが喉頭蓋だ。
●咽頭期の始まり,舌骨と舌筋の流れ作業
嚥下運動の口腔期の終わり,通過物が中咽頭の壁に達したあたりから後はだいたい自動運転の運動に切り替わる。
舌筋の付け根には舌骨(ぜっこつ,hyoid)という小さな骨が埋まっている。 どこの骨とも関節を作っていないので,骨学では印象が薄くて忘れてしまっているくらいだったけれど,舌筋のほかにも,下顎(かがく,lower jaw)や喉のまわり,さらに肩からの様々な筋がつながっていて,嚥下の際にはなくてはならない重要なパーツの一つだ。
咽頭期の始めで,舌骨が定位置から顎の前方に引き寄せられると同時に,それを追いかけるように舌根部が硬く瘤(こぶ)を作って下方向に運動し,合わせて中咽頭の壁の筋が,延髄のコントロールによる,蠕動(ぜんどう)を行って,中咽頭に流れてきたモノを下咽頭に向かって送り込む。
●喉頭蓋は芯のある突起物
喉頭蓋の中心部分は喉頭蓋軟骨(こうとうがいなんこつ,epiglottic cartilage)とよばれる平たくて柔らかい弾性軟骨(elastic cartilage)でできた芯が入っている。
こんな上向きのでっぱりがあると,飲み込むときに邪魔になりそうだなと心配してしまう。 けれど,嚥下の時には,この喉頭蓋がパタンと下に反転して,喉頭への通過物の浸入を防ぐ盾(たて)の役割をするのだ。
ホースの斜めなったとがった切り口の上半分が折れ曲がって,切り口の開口部にかぶさるかたちになる。 そして通過物が過ぎると,再びパタンと即座に元の形に復帰する。 芯が無かったら,こううまくはいかないだろう。 教科書の図によっては,通過物が自分で喉頭蓋を押し倒して通り抜けるように見えるけれど,実際はもっと巧妙で,ここが嚥下の一番のポイントになるイベントじゃないかと思える。
●咽頭期の後半,喉頭が捨て身の接近戦
通過物が中咽頭を一気に降りてくる中,気管に入ったら大変なので,喉頭は通過物が入り込まないように死守しないといけない。 普通,そのような場合,入り口はともあれさっさと蓋を閉めるか,もし入り口を動かすなら,近づいて来るものから逃げるように,遠ざかりながら蓋をする仕組みを考えるのではないかと思う。
ところが喉頭は,あえて通過物に立ち向かっていくところがすごい。 喉頭の入り口を囲む甲状軟骨と舌骨は甲状舌骨筋(thyrohyoid muscle)でつながっていて,舌骨は前方に移動しながら,甲状軟骨をそれに続く気管もろとも上に一気に引っ張り上げるのだ。
これが嚥下とどう関係するのか。 実は咽頭に突き出した喉頭蓋軟骨の根元は,遠く甲状軟骨の前壁にまで伸びて付け根が蝶番(ちょうつがい)みたいに固定されている。 咽頭期の後半,喉頭蓋は舌根に上から押さえつけられると同時に,甲状軟骨が持ち上がると,喉頭蓋は舌の付け根を支点に,でっぱりが下を向くようにすばやく回転することになる。
上から下に飲み込んでいるはずなのに”のどぼとけ”がごっくんと持ち上がるのは,裏ではこういう芸当をしていたのだ。
タイミングが一瞬でも遅れると通過物を吸い込んでしまう恐れがあるけれど,蓋を閉じるための時間をできるだけ節約するための捨て身の工夫なのだろう。 そして残念なことに,歳をとると実際,ときどき失敗するようになる弱点でもある。
●喉頭の移動で食道も開く
咽頭期の後半,前方にある舌骨に向かって,喉頭は持ち上がると同時に前方に引き出される。 すると喉頭の後ろに押しつぶされた形になっていた食道の入り口が引っ張られて広がり姿を現す。
通過物は蓋をされた喉頭の周りを誘導されて食道の入り口に入り込むと,あとは食道の自動運動の蠕動で胃に向かって圧し流されていくことになる。
食道を通過するとき,丈夫な輪状軟骨の部分では食道が広がりにくいので少し苦労するけれど,それを過ぎると食道に沿った気管の裏側は平滑筋の膜だけなので,食道は楽にふくらみながら通過物を運ぶ。
ちなみに,咽頭の筋は横紋筋で,食道も喉頭のあたりは平滑筋ではなくて,横紋筋でできている。 だから自動運動といっても,延髄のコントロールによる反射運動だ。 それが胃に近づくにつれて平滑筋に入れ替わっていき,食道の下3分の1からは,その下の消化管と同様に平滑筋だけになってしまう。 ホント,うまく作ってあるなと感心する。
●噛んで食べれば少しずつ咽頭に送る
以上の段取りは,基本的に口の中にあるものを一気に飲み込むときの嚥下の流れで,ご飯のように食べながら飲み込むときには,すこしずつ中咽頭に送りながら,ある程度溜ったところで一気に嚥下するやり方をとっているらしい。
どこに溜めるかというと,喉頭は咽頭というツボに飛び出た筒なので,筒のまわりのツボの底に当たる部分は,ある程度溜める余裕があるのだ。
特に,喉頭蓋のヘラと舌根の間には,喉頭蓋谷(こうとうがいこく, epiglottic vallecula)という名前があるように,深い落ち込みがあるし,食道の口は開いていないけれど,その部分の筒の両脇は梨状陥凹(りじょうかんおう, piriform sinus)という袋状の構造になっていて,普段は唾液もある程度溜ってから飲み込むようになっている。
咀嚼を伴うときには,中咽頭に固形の通過物が触れても,自動的に嚥下運動が起こらないように,反射が一時的に抑制されているらしい。
●嚥下と呼吸は同時にできない
以上のような複雑な仕組みで明らかなように,嚥下の途中,咽頭を空気が出入りできないので,呼吸は遮断される。 喉頭の途中に,声を出すときに使う声帯(せいたい,vocal cords)というヒダがあって,これは嚥下の時にはしっかり閉じて,通過物を誤って通さないシャッターの役割もしている。
また,中枢神経のコントロールで,嚥下では呼吸運動が一次的に抑制されるという。 試しに,声帯を鳴らしながら嚥下をしてみよう。 声を出し続けることはどう頑張っても不可能なことがわかる。
また,嚥下は息を吐いている途中では容易いけれど,息を吸っている途中ではちょっと難しい。 誤って吸い込むリスクを減らす気遣いだろう。 わざわざ吸い込みながら嚥下すると失敗しやすい。
これだけ複雑な仕組みで働いているので,そのどこかが不具合を起こすと,特に神経のコントロールに失敗すると誤嚥(ごえん)を起こすことになるのもうなずける。
●鼻呼吸と口呼吸
口を開けて喉の奥を見ている時も,軟口蓋は何気に持ち上がって,上咽頭をふさいでいる。 このまま呼吸をしても,鼻の孔に手を当ててみたらわかるように,鼻から空気は出入りしていないはずだ。 逆にこの状態で鼻で呼吸をしようとしたら,即座に勝手に軟口蓋は下がって,同時に舌根部も勝手に持ち上がり,口から咽頭への空気の出入り口をふさいでしまう。 出入り口を開けようとして,舌根を下げようとすると軟口蓋も持ち上がって,今度は鼻からの空気の出入りが遮断される。 どうやら,鼻呼吸と口呼吸を同時にすることは許されていないらしい。
●イヌの口呼吸
イヌは口呼吸ができないというウワサがある。 ヒトと違って,軟口蓋が喉頭蓋のところまで伸びているので(それは確かだ),鼻を通した空気の通り道と,口腔を通した食べ物の通り道がほぼ分離されているからだという。 確かにそれで,鼻で息をしながら水を飲むことも可能にはなっているらしい。 ならば,イヌがハアハアやっているのは何なのだろうか。 あれはイヌは汗が出ないので,その代りに体熱の発散のためにやっているのだという。 それはそうだ.
それはそうだけど,空気の出入りは気道にはいかずに,口腔と咽頭だけで止まっているのだろうか。 肺も一緒に動いているとしか見えないし,あれが呼吸ではないとしたら,呼吸は別に鼻からやっているのだろうか。 (ハァハァだけでは肺胞換気量はゼロなのかもしれないけれど・・・.)
口でハアハアしながら鼻で深い呼吸をすることは,それこそ難しい芸当のような気がする。 第一,吠えるときは声帯を使って口から声を出しているみたいだし,当然,その時は口腔と気道は繋がっているのが確実なので,構造上,口で息ができないというのは不思議でしかない。 ネットでは明確な回答は見つからない。 獣医の専門家にきちんと説明してほしいところだ。
●イルカは口で呼吸ができない
一方,イルカやクジラは構造上,口で呼吸が出来ないことはわかっている。 喉頭の筒が長く伸びて,その先端が咽頭を通り抜けて鼻腔にすっぽりはまり込んでいる。 だから,空気の出入りはもっぱら鼻の孔を通してしかできないのだ。 イルカ類の頭のてっぺんに開いている不思議な孔は,イルカの鼻の孔だということは良く知られている。
海面におでこを出すだけで呼吸ができるので機能的だけれど,あれを塞ぐととんでもないことになるというのは,あまり意識する人は少ないかもしれない。 実際,鼻腔の奥に魚が詰まって窒息したかわいそうなクジラの例もあるそうだ。
どうして魚が詰まったかというと,喉頭の筒は鼻腔に一体化しているわけではないので,筒のわきにわずかながらすき間がある.獲物として口から飲み込まれた魚が,そのすき間から死にもの狂いで入り込んだらしい。 口と気道が分離してしまうと,食べている途中で呼吸を止める必要もないので機能的ではあるけれど,思わぬ弱点があるものだ。
もう一つ弱点と言えば,口と呼吸が分離してしまうと,口に入れた物の風味を感じることができないのではないかと思う。 ビニール袋を飲み込んでしまったイルカが時々見つかるのはそのせいじゃないかと推察する。
イルカじゃなくても,イヌをはじめ,ヒト以外の哺乳動物は,呼吸しながら別ルートで飲み食いできる傾向があるので,食べているものの風味が分かりにくいのは一緒かも知れない。 その代わり,たいていの動物では鼻の孔と口は近接していて,食べる前にニオイを嗅ぐ。 イルカは鼻と口を完全に分離してしまったために,大事なものを犠牲にしてしまったのではないか。
ヒトは口と気道がクロスオーバーしているおかげで,いろんな食べ物の風味も感じることができるし,鼻が詰まっても生きられるのは幸いだと感じる。
【アニメーションを修正しています.MRI of what happens inside our mouth when we speak.ツイッターの動画から,嚥下のときにも咽頭背部の筋は収縮して脊柱から浮き上がることはないことがわかりました。これまで想像で描いてましたので反省です。20191103】
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○参考にしたサイト
・MRI of what happens inside our mouth when we speak.ツイッターの動画
・咽頭の臨床解剖, 吉原俊雄 著, 2008.
・嚥下機能にまつわる昨今の生理学的知見, 井上 誠, 2012.
・CGにより嚥下を見る,(特定非営利活動法人 嚥友会)
・プロセスモデルで考える咀嚼嚥下リハビリテーション, 松尾 浩一郎, 2015.
・嚥下アニメーション「咽頭の解剖生理 / 咀嚼嚥下の一例 (内視鏡検査視線)」-舌根-咽頭後壁間の接触を透明化-
・嚥下機能の学習, by JA北海道常呂厚生病院
・Scientists Discover a Mouth-Breathing Dolphin, 2016.
・イルカが食べたごみ;NHK for School
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○参考文献
・カラー図解 人体の正常構造と機能 全10巻縮刷版,坂井 建雄,日本医事新報社
・人体機能生理学,杉 晴夫,南江堂
・柔道整復学校協会編「生理学」,南江堂
・東洋療法学校協会編「生理学」,医歯薬出版株式会社
rev.20170902, rev.20170909, rev.20170929, rev.20180103, rev.20180506, rev.20190503, rev.20191103, rev.20200823, rev.20210301.
◆基礎医学教育研究会(KIKKEN)
コメント
感動していただけるとは,初めての感想で,感激です(T_T)!
有難うございます。
これからも応援よろしくお願いします。
素晴らしい記事です。
素人ですが、今までなんとなく不思議に思っていた嚥下の仕組みがやっと腑に落ちました。
大げさですがちょっと感動しました。