[015] 胸式呼吸 costal breathing (GB#104B02) | 基礎医学教育研究会(KIKKEN)Lab
●自然な呼吸では肋骨が動く
名前が知られている呼吸のしかたといえば腹式呼吸(ふくしきこきゅう)だろう。 「腹式」というのは意識的に腹筋に力を入れた緩めたりする作業を伴うところから来ているようだけど,実際は腹式呼吸は横隔膜(おうかくまく,diaphragm)だけに力を入れたり緩めたりする呼吸のしかただ。 一方で,ヒトが大きく息をする時,普通にやっている呼吸は腹式呼吸ではない。 横隔膜だけではなくて,肺を囲んでいるカゴ,胸郭(きょうかく,thorax)が広がったりしぼんだりする運動が加わっている。 硬い肋骨でつくられたカゴがどうやって広がるのだろうか。 もちろん筋の力を必要とするけれど,筋の力でカゴを広げるためにはちょっとしたしかけが必要なのだ。
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●肋骨は引き上げると胸郭が広がる
胸郭のカゴをつくっている肋骨(the ribs)はぐるっと後ろに回っているけれど,背骨にがっちりと一体になっているわけではなくて,きちんと関節でつながっている。 前の方の胸骨との連結部分は大きな軟骨(cartilage)だ。 だからある程度はゆるく動くようになっている。 動かす筋肉は,胸だから胸の筋肉,大胸筋(だいきょうきん,musculus pectoralis major)?だろうか。 大胸筋は基本的には腕を胸に引き付ける筋で,大きな深呼吸をするときは大胸筋も少しは働くらしいけれど,普通は呼吸にはかかわらない。 呼吸の時に肋骨を動かす筋は、それぞれの上の肋骨と下の肋骨の間を継いでいる肋間筋(ろっかんきん,musculus intercostales)だ。
●息を吸うときは外肋間筋が収縮する
肋骨の間にある肋間筋が,外側にある外肋間筋(musculus intercostales externi)と内側の内肋間筋(musculus intercostales interni)の二層から成り立っている。 その線維の走向がお互いにほぼ直交した向きで,それぞれが上の肋骨と下の肋骨を斜に継いでいる。 と言ってもわかりにくいけれど,外肋間筋は上の肋骨の背骨に近い側(近位部)と下の肋骨の前に近い側(遠位部)を継いて斜に走っている。 その内側の層の内肋間筋は上の肋骨の遠位部と下の肋骨の近位部を継いで斜に走っている。 この斜に走っているというところが大事だ。 ただ素直に上下に継いでいるだけだと筋が縮んだ時は肋骨の間隔が狭くなるだけだ。 なんと外肋間筋は収縮することで肋骨と肋骨の間隔が広がる。 その秘密が筋の上と下の肋骨へ付く位置の違い,それとこの筋が伸びきったときの肋骨の位置だ。
外肋間筋が力を抜いているとき,肋骨は脊柱側にある関節を支点にして少し折りたたんでつぶれた格好になっている。 呼吸で息を吸うとき,肋骨の間にある外肋間筋は収縮することで上の肋骨も下の肋骨も同じく引っ張る。そうすると、てこの原理で上の肋骨を引き下げる動きよりも下の肋骨を引き上げる動きの方が大きい。 上の肋骨も,その上の外肋間筋の働きで引き上げられる。 結局,各肋骨間の外肋間筋が収縮すると,肋骨の前の方が全体的に上に持ち上げられることになる。 たたまれてつぶれていたカゴが持ち上げられてそれぞれの肋骨の間隔が広がって中身が,容積が拡大するのだ。 カゴを持ち上げるのは作業としては結構大変そうだ。 だけど,相対する肋骨の間全体に隙間なく筋線維が張り巡らされているので線維あたりの力は小さくて済んでいて,息をするのに普通はそれほど力を入れている意識はない。
●息を吐くときはもっと力がいらない
息を吐くときは,外肋間筋に直交して付いている内肋間筋が収縮することで肋骨の間隔が狭くなる。 肋骨を持ち上げていた外肋間筋が緩めば,自然に肋骨が垂れ下がって胸廓の容積を縮めて肺から空気を吐き出すので,あまり力はいらない。 普通の呼吸の場合,全身のエネルギー消費の3%よりもまだ小さいという。 これが歳を取ってくると肋間筋も衰えてきて普通に息をするのも疲れるようになってしまうのだけど...。
肋骨の動きで呼吸する方法は,腹式呼吸に対して胸式呼吸(きょうしきこきゅう)と呼ばれている。 英語では肋骨呼吸(costal breathing)という呼び方が普及しているらしい。 ただ胸式といっても,呼吸をするときに横隔膜を完全に動かさないでいることは不可能だ。普通に肋骨を使って呼吸しているときにも横隔膜は普通に働いている。
●脊髄損傷で肋間筋はマヒする
呼吸という半ば自動的な運動にかかわる筋だけど、肋間筋は骨格筋で,この筋を動かす神経は、自律神経ではなくて体性神経の肋間神経(intercostal nerves)だ。 肋間神経痛(intercostal neuralgia)で有名だ。 神経痛は肋間神経の中を走る感覚神経線維が伝えていて、筋の運動は運動神経線維がコントロールしている。 胸髄(きょうずい,thoracic spinal cord)から出ているので、その上の頸髄損傷(けいずいそんしょう,cervical spinal cord injury)の場合には、信号が届かなくなって、手足と一緒にマヒすることになる。 肋骨を動かすことができなくなってこの呼吸法は不可能になるけれど,横隔膜を動かす横隔神経(おうかくしんけい)が、なんと胸髄の上の頸髄から出て降りてきているので,頸髄の中間部以下の損傷であれば腹式呼吸だけは可能だ。 しかし腹式呼吸だけだと,もし身体の酸素消費が高くなったときに追いつくには逆にさらにエネルギーを必要とするだろう。 肋骨の動きと横隔膜の動きを併用した呼吸は,呼吸量が増えたときにも,できるだけエネルギー消耗を抑えたすぐれた方式なのだ。
肋骨の筋といえば,豚バラ肉を思い浮かべる人は多いかもしれない。 花のバラではなくて,「アバラ肉」から来た名称らしい。 正確に言うと食べている部分はアバラ骨の表面を覆っている皮下の肉であって,肋間筋とは違うらしいけれど。 肋骨がついたままのスペアリブは肋間筋もついているけれど,これも食べている部分は大部分,外側についた肉みたいだ。 (欧米人は硬い肋間筋を好んで食べるというウワサはある。)
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〇関連する記事
◆[003] 腹式呼吸 diaphragmatic breathing
◆[054] 気道と食道の切り替え switching of the airway and esophagus (GB#105A04)
◆[011] 体内の酸性・アルカリ性と炭酸ガス body acid-base reaction and carbon dioxide gas
◆[010] 肺胞換気量と死腔 alveolar ventilation and dead space
◆[009] 筋収縮の伸縮幅 the range of muscular contraction
◆[046] 消化と代謝 digestion and metabolism
◆[050] 細胞呼吸 cellular respiration
○参考文献
・肉単―ギリシャ語・ラテン語 (語源から覚える解剖学英単語集 (筋肉編))
・臓単―ギリシャ語・ラテン語 (語源から覚える解剖学英単語集 (内臓編))
・カラー図解 人体の正常構造と機能 全10巻縮刷版,坂井 建雄,日本医事新報社
・人体機能生理学,杉 晴夫,南江堂
・トートラ人体解剖生理学 原書8版,丸善
・イラスト解剖学,松村 讓兒,中外医学社
・柔道整復学校協会編「生理学」,南江堂
・東洋療法学校協会編「生理学」,医歯薬出版株式会社
rev.20170211,rev.20170504, rev.0180409.
◆基礎医学教育研究会(KIKKEN)
コメント
「密息」という呼吸法があることを初めて知りました。
「呼吸していることが外形的にはわからない呼吸法」(内田樹)
一瞬でおどろくほど大量の空気を吸い込むことができる、
日本人は江戸時代までほとんどがこの呼吸法ができた、とも書いてあります。
どれも、初歩的な教科書的知識からは想像がつかない世界です。
たいへん興味を持ちましたので、
中村明一先生の『密息で身体が変わる』(新潮選書)
を読もうしましたが、アマゾンでは品切れでした。
これから機会を見つけては探っていきたいと思います。
お便りをいただくと、このような意外な情報を手にすることが
できてありがたいですね。
これからもよろしくお願いします。
早速ご返答ありがとうございます。
教科書的な観点から、視点で知りたかったので丁寧に説明していただけて嬉しいです。
胸啌 腹腔を広げたまま、横隔膜の動きで呼吸する、尺八などで昔の日本の伝統的な呼吸法、密息 などを調べていて、圧、横隔膜の動きなどを調べていてこのサイトをみつけましたが、どのページもとっても面白いです!
Chieさん、再びお便りありがとうございます。
さて、息を吸うとき横隔膜筋が収縮するので、横隔膜は下がって腹腔を押し下げることになります。
横隔膜を上げるように意識しながら息を吸うと、(それでも横隔膜が上げることは難しいと思いますが)どうしてもお腹の筋に力が入りますが、どうですか。
きっけんらぼの何人かの研究員にも聞いてみましたが、息を吸いながら横隔膜を上げることは難しいようです。
お腹は緩めた時がいちばん内圧は低くて、後はお腹まわりの筋に力を入れることになると、腹圧はどうしても上がってしまうように感じます。
普通に”息を吸うとき”、腹圧が上がって胸腔内圧が下がるので、そのときに腹腔からの血液やリンパも心臓に戻りやすくなると言われています。逆に”息を吐くとき”にはお腹が緩めば、腹圧は若干下がるので、下肢からの血液やリンパは腹腔に流れやすくなるようですね。積極的にこの圧力変化を利用するのが、健康法での腹式呼吸なのでしょうね。
ご質問の答えになっていないかもしれませんが、このサイトは、基礎的な原理をうまくイメージしてもらうことを主眼としていますので、あくまでも教科書的な範囲での説明になってしまい、申し訳ありません。
> 文章も分かりやすく、アニメーションも色使いや動きがオシャレでartの様で、楽しくゆっくり読んでいます!
↑ 大変、感激しています。これからも応援よろしくお願いします。
丁寧にありがとうございます!吸う時に胸啌は元の陰圧が強くなるのに対して腹腔は元の陽圧が強くなる、
腹腔には固い殻が無いから腹圧の変化があまりない
なるほど…面白い。
吸う時に、横隔膜を上げる様に意識すると腹腔内が少し陰圧になり脚のリンパ管内のリンパ液が鼠蹊部からお腹に入り、吐いた時に圧がかかり左鎖骨から心臓に…というのを聞いた事がありますこれはどうでしょうか?(考えられますか?)
お時間ある時に教えて頂けたら嬉しいです。
文章も分かりやすく、アニメーションも色使いや動きがオシャレでartの様で、楽しくゆっくり読んでいます!
Chieさん、コメントありがとうございます。
お褒めの言葉もいただいて、本当に久しぶりに喜んでいます(笑)。
さて、呼吸と内臓の圧力の関係ですが、
胸腔圧は、息を吸うときは陰圧、吐くときは陽圧、
胸膜腔内圧は、常に陰圧(吸うときに陰圧が少し強くなる)
腹腔圧は、常に陽圧(吸うときに陽圧が少し強くなるかも)。
息を吸うときに横隔膜が”収縮して”肺を広げます。
横隔膜が収縮するとき、お腹の内臓を下に押し下げます。
ただし、お腹まわりは(胸腔のような)固い殻はないので、
呼吸によって腹圧はそれほど上がりません。
息を吸うたびに腹圧が大きく上がっていたら、
すぐに疲れてしまいますからね。
腹圧はどんな状況でも陰圧にはならないようですが、
もしお腹まわりの筋肉がほとんどなくて、詰まっている
消化器の重みを支えきれずに、全部、下がってしまうと
したら、直立している状態では、
横隔膜も下に引っ張られっぱなしで、
今度は息を吐くのが難しいかもしれませんね。
ちなみに、横になったらお腹の内臓が横隔膜を押す度合いが
強くなるので、息を吸うのに余計に力がいるそうですよ。
追記
呼吸と、胸啌、腹腔 、横隔膜、の圧の変化が、色々なサイトをみても分かりにくく、特に腹啌はつねに陽圧であることと?
腹圧が高い低い、横隔膜との関係、などがぜひ明確に知りたいです。
とっても分かりやすく、アニメーションもキレイでいくつかの項目を面白く拝見させてもらいましまた!腹腔内の、呼吸と陽圧 陰圧についても、ぜひ解説してもらいたいです。
> とてもわかりやすい内容で色々と参考になりました。
お役に立てれば幸いです。
特に学生の皆さんが、解った!と言っていただければ本望です。
とてもわかりやすい内容で色々と参考になりました。
こんな素晴らしいコメントとつけていただくなんて。
これほどハイレベルな解説はこの欄では
もったいないですね(笑)。
吸気と呼気が、清気と濁気とはなるほど面白い!!
先生のブログがあったら教えてください!!
すばらしい内容ですね。
せっかくなので東洋医学的な呼吸を紹介させて頂きます。
興味のある方は一読下さいませ。
東洋医学では、呼吸は2つの「臓※1」によって行われている。
(1)呼気は、肺の「宣発作用※2」で行い、体内の濁気※3を外に出す。
(2)吸気は、肺の「粛降作用※4」と腎の「納気作用※5」によって行われ、
自然界の清気※6を体内に取り込む。
東洋医学的に呼吸の疾患を治療する際は、
肺を治療するだけではなく、腎という臓も治療する場合がある。
何を治療対象とするかは呼吸の疾患だけに目を向けるのではなく、
随伴する症状などにも目を向けなければならない。
例えば喘息の場合、
呼吸に関する症状以外にも手足の冷えや腰痛なども重要なポイントとなる。
一見すると関係ない症状も東洋医学的に診るとリンクしており、
この身体観察方法が東洋医学が全身治療といわれる所以である。
※1「臓」といっても、西洋医学の臓器とは違い、
解剖学的機能では説明出来ないものが含まれている。
日本では古くから「五藏六腑」として広く使われている概念である。
※2「宣発作用」は肺が持つ機能の一つで、
体内での外向きに押し出す気の流れを指す。
※3「濁気」とは体内で不必要になった気を指す。
呼吸に於いては「呼気」を指す。
※4「粛降作用」は肺が持つ機能の一つで、
体内での下向きに降ろす気の流れの方向を指す。
※5「納気作用」は腎が持つ機能の一つで、
体内での下向きに降ろし体内に貯蔵する作用を指す。
※6「清気」とは自然界の空気で身体に必要な気を指す。
呼吸に於いては「吸気」を指す。